日本の森林における炭素吸収量の算定方法と信頼性:企業の排出量報告とオフセットへの示唆
はじめに:気候変動対策における森林の役割と企業の関心
近年、気候変動問題への対策が喫緊の課題となる中で、大気中の二酸化炭素(CO2)を吸収・固定する森林の役割に注目が集まっています。多くの企業が脱炭素経営やネットゼロ目標を掲げる中、自社のバリューチェーン全体での排出量削減に加え、森林による炭素吸収をオフセットに活用したり、森林保全活動をCSRの一環として推進したりする動きが活発化しています。
このような背景から、日本の森林がどの程度の炭素を吸収しているのか、そのデータはどのように算出され、どの程度信頼できるのかといった情報は、企業のCSR担当者や環境部門の方々にとって、自社の排出量報告書の作成、森林関連投資の判断、他社との比較、社会貢献活動のインパクト評価などを検討する上で、非常に重要な関心事となっています。
本記事では、日本の森林における炭素吸収量の算定がどのように行われているのか、その信頼性に関する考え方、そして企業がこれらの情報を活用する上での示唆について詳しく解説します。
日本の森林における炭素吸収量算定の仕組み
国が日本の森林による炭素吸収量を算定する主な目的は、国連気候変動枠組条約(UNFCCC)に基づき、日本の温室効果ガス排出・吸収量を国際的に報告することです。この算定は、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が定めるガイドラインに準拠して行われています。
具体的な算定方法は複雑ですが、主に以下の要素を組み合わせて実施されています。
- 森林面積と森林資源の把握: 森林簿データやリモートセンシング(衛星画像など)を活用して、森林の分布、面積、樹種、林齢などを把握します。
- バイオマス成長量の算定: 地上調査(例えば、標準地の設定と樹木の毎木調査)や、過去のデータに基づく成長モデルを用いて、樹木の幹、枝、葉、根などのバイオマス(生物体量)の増加量を推定します。
- 炭素量の換算: バイオマス量に、樹種ごとの炭素含有率を乗じることで、吸収された炭素量を算出します。
- 土壌炭素・リター炭素の変動: 森林土壌や枯葉・枯枝(リター)に含まれる炭素量の変動についても、モデルや調査データに基づき算定を行います。
- 間伐や伐採の影響: 森林施業(間伐、主伐など)によるバイオマスの減少分や、伐採後の木材製品として炭素が貯蔵される量(木材製品中の炭素貯留:Harvested Wood Products - HWP)も算定に含まれます。
- 森林火災や病虫害による排出: 森林の減少や劣化による炭素放出量も考慮されます。
これらの要素を総合的に評価することで、ある期間における日本の森林全体の炭素吸収・排出量が推計されます。
算定の信頼性と不確実性
国レベルで行われる炭素吸収量算定は、科学的な知見と統計的な手法に基づき、信頼性の高いデータを提供することを目指しています。しかし、広大な森林を対象とする推計であるため、いくつかの不確実性要因が存在します。
主な不確実性要因としては、以下のような点が挙げられます。
- サンプリング誤差: 限られた数の地上調査地点からのデータを全体に外挿することによる統計的な誤差。
- モデル誤差: 樹木の成長モデルや土壌炭素変動モデルの精度による誤差。
- パラメータの不確実性: 樹種ごとの炭素含有率や成長率といったパラメータの変動による誤差。
- 活動量の把握の不確実性: 間伐や伐採といった森林施業の実施状況の正確な把握に関する限界。
国は、これらの不確実性を最小限に抑えるため、調査方法の改善、モデル精度の向上、最新の科学的知見の反映、リモートセンシング技術の活用拡大などを継続的に行っています。また、UNFCCCへの報告においては、IPCCガイドラインに基づき、算定における不確実性の評価と開示も行われています。
企業が国の公表する炭素吸収量データを参照する際は、これらのデータが国全体または広範な地域を対象とした推計値であり、個別の森林や特定の施業による吸収量を直接示すものではないことを理解しておくことが重要です。
企業活動への示唆
日本の森林における炭素吸収量算定の仕組みや信頼性を理解することは、企業が気候変動対策やCSR活動を戦略的に進める上で、いくつかの重要な示唆を与えます。
- CSR報告書における炭素吸収量データの活用: 国が公表する日本の森林による吸収量は、自社のCSR報告書や統合報告書において、気候変動対策における国の取り組みや森林の重要性に言及する際の信頼できる根拠となります。ただし、自社の特定の森林保全活動が直接的に国の算定値にどれだけ寄与したかを定量的に示すことは難しいため、公表データと自社活動の関連性を示す際には表現に注意が必要です。
- 森林由来J-クレジットとの関連性: 企業がJ-クレジット制度を通じて取得できる森林由来のクレジットは、適切な森林管理による炭素吸収量を認証するものです。J-クレジットの算定は、国全体の算定とは異なり、個別のプロジェクト(森林)を対象に、特定のガイドライン(例:「森林経営活動」による排出削減・吸収量算定・モニタリング等に関する方法論)に基づいて行われます。国の算定方法を理解することは、J-クレジット制度の背景にある考え方や、プロジェクト単位での算定の意義を深く理解する上で役立ちます。
- 森林保全活動への投資判断: 森林保全や適正な森林管理への投資は、生態系の維持、防災、地域活性化など多面的な効果に加え、炭素吸収源としての機能維持・強化にも寄与します。算定メカニズムを理解することで、どのような森林施業や取り組みが炭素吸収に貢献する可能性が高いのか、またその効果を評価する上での視点を持つことができます。
- サプライチェーン排出量との関連: 自社のサプライチェーンにおける森林への影響(例:木材調達)を評価する際にも、森林の炭素循環や管理方法に関する知識は不可欠です。森林認証材の活用なども、持続可能な森林管理を支援し、間接的に炭素吸収源の維持・強化に貢献する取り組みと言えます。
結論:信頼性への理解と適切な情報活用
日本の森林による炭素吸収量の算定は、国際的な約束を果たす上で不可欠であり、科学的な手法に基づき継続的に改善されています。完全に不確実性を排除することはできませんが、国は透明性を確保し、可能な限り正確なデータを提供するための努力を続けています。
企業がこれらの情報を活用する際は、算定の仕組みや信頼性に関する基本的な理解を持つことが重要です。国の公表データを適切に参照しつつ、自社の森林関連の取り組み(J-クレジットの活用、森林保全活動、木材調達方針など)が、気候変動対策や持続可能な社会の実現にどのように貢献できるかを、具体的なデータや事例に基づいて社内外に発信していくことが求められます。
森林の持つ多面的な機能と、その炭素吸収源としての役割を深く理解し、信頼性のある情報に基づいて戦略的な活動を展開することが、企業のCSR活動の質を高め、社会からの信頼を得る上で不可欠と言えるでしょう。