気候変動が日本の森林吸収力に与える影響:リスク評価と企業に求められる適応策
はじめに
日本の森林は、国土面積の約3分の2を占める貴重な資源であり、地球温暖化対策における二酸化炭素(CO2)の吸収源として重要な役割を担っています。温室効果ガス削減目標の達成に向けて、森林による吸収量は国の目標においても不可欠な要素として位置づけられています。
しかしながら、近年の気候変動は、森林の生態系に様々な影響を及ぼし始めています。温暖化による気温上昇、降水パターンの変化、異常気象の頻発などは、森林の健康状態や成長、ひいては炭素吸収力に影響を与える可能性が指摘されています。企業にとって、気候変動は事業継続に関わる重要なリスク要因であると同時に、森林の吸収力が将来どのように変動するかは、自社の排出量目標設定やオフセット戦略を検討する上で無視できない要素です。
本稿では、気候変動が日本の森林吸収力に与える影響、そのリスクをどのように評価すべきか、そして企業がそのリスクに対してどのような適応策を講じ、持続可能な森林吸収源の確保に貢献できるのかについて解説します。
気候変動が日本の森林に及ぼす主な影響
気候変動は多岐にわたる経路で森林に影響を与えます。主な影響は以下の通りです。
- 温暖化による植生の変化: 気温の上昇は、特定の樹種が生育できる気候条件を変化させます。寒冷な気候を好む樹種は分布域を北へ、あるいは標高の高い場所へ移す必要が生じる可能性があります。逆に、これまで生育が難しかった温暖な気候を好む樹種が北上・拡大する可能性もありますが、その速度や適応力は樹種や場所によって大きく異なります。これにより、既存の森林生態系のバランスが崩れるリスクがあります。
- 異常気象の増加: 集中豪雨、長期にわたる干ばつ、強力な台風などの異常気象の頻度や強度が増しています。集中豪雨は土砂災害を引き起こし、森林を破壊する可能性があります。干ばつは樹木を衰弱させ、病虫害に対する抵抗力を低下させます。台風は倒木被害をもたらし、広範囲の森林にダメージを与えます。
- 病虫害・森林火災リスクの増加: 温暖化や干ばつによって樹木が衰弱すると、病原菌や害虫に対する抵抗力が弱まります。これにより、病虫害が拡大しやすくなります。また、乾燥が続くと森林火災のリスクが高まります。一度大規模な火災が発生すると、長年蓄積された炭素が一気に大気中に放出され、森林吸収源としての機能が失われるだけでなく、貴重な生態系も失われます。
- 樹木の生理的な変化: 高温や水ストレスは、樹木の光合成能力や成長速度に影響を与える可能性があります。必ずしもすべての樹種で成長が促進されるわけではなく、生育環境によってはストレスが増大し、樹勢が衰えることもあります。
これらの影響が森林の炭素吸収力に与える影響
前述の気候変動による森林への影響は、結果として森林の炭素吸収力に直接的・間接的な影響を与えます。
- 吸収量の減少: 森林衰退、枯死、自然災害による森林面積の減少は、単位面積あたりの炭素吸収量を低下させたり、吸収総量を減少させたりします。特に、樹木が大規模に枯死したり伐採されたりすると、その木が固定していた炭素が大気中に放出される可能性があります。
- 排出量の増加: 森林火災や病虫害による枯死木の分解は、CO2やその他の温室効果ガスを排出します。自然撹乱(かくらん)による排出が、吸収量を上回る可能性もゼロではありません。
- 吸収効率の変化: 植生の変化によって、これまで主要な吸収源であった樹種が衰退し、吸収効率の異なる植生に置き換わることで、森林全体の吸収効率が変化する可能性があります。
国立環境研究所などの研究機関は、将来の気候変動シナリオに基づき、日本の森林による炭素吸収量がどのように変動するかを予測する研究を進めています。これらの予測では、温暖化が進行した場合、将来的に吸収量が減少に転じる可能性も指摘されており、森林吸収源の持続性に対する懸念が高まっています。
森林吸収源の気候変動リスク評価と企業への示唆
気候変動が森林吸収源に与える影響は、企業活動と無関係ではありません。特に、温室効果ガス排出量削減目標の設定において森林由来の吸収量やオフセットを活用している企業、あるいはサプライチェーンで木材などの林産物を扱っている企業にとっては、重要なリスク要因となり得ます。
- リスク評価: 企業は、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)などで推奨されているように、気候変動が自社の事業に与える物理的リスクと移行リスクを評価する必要があります。森林吸収源の将来的な不安定化は、物理的リスクの一つとして捉えることができます。将来の吸収量予測に基づき、自社のオフセット戦略や排出量削減目標を見直す必要が生じるかもしれません。
- 情報開示: 気候変動リスクに関する情報開示を行う際には、森林吸収源の将来性に関する懸念や、それに対する自社の考え方・取り組みを記載することが、透明性の向上に繋がります。
森林吸収力維持・強化に向けた適応策と企業連携の可能性
気候変動による森林への影響を緩和し、将来にわたって森林の炭素吸収力を維持・強化していくためには、「緩和策」(温室効果ガス排出量を削減する取り組み)と同時に「適応策」(気候変動の影響による被害を回避・軽減する取り組み)を推進することが不可欠です。
国や自治体は、気候変動の影響に強い森林づくりを目指し、様々な適応策を推進しています。例えば、
- 気候変動耐性のある樹種の選定・導入: 将来の気候条件下でも健全に生育できると予測される樹種を選定し、植栽や更新に活用する取り組み。
- 適切な森林管理: 密な人工林では、間伐を適切に行うことで、樹木一本一本の健全な成長を促し、病虫害や風害への抵抗力を高めます。また、針葉樹人工林だけでなく、多様な樹種からなる広葉樹林の整備も、気候変動に対する森林全体のレジリエンス(回復力)を高める上で重要です。
- 防災林の整備: 海岸防災林や山地防災林など、自然災害に対する緩衝帯としての機能を持つ森林の整備・維持管理。
- 病虫害・獣害対策: 温暖化により分布域を広げる可能性のある病害虫への対策や、鳥獣被害対策の強化。
これらの適応策を推進するためには、林業従事者や森林所有者だけでなく、社会全体での取り組みが必要です。特に企業には、その資金力、技術力、組織力、情報発信力などを活かして、森林の適応策推進に貢献する大きな可能性があります。
- 森林保全活動への投資・参画: 企業が森林所有者やNPO、地域住民と連携し、気候変動適応を意識した森林づくり(例:多様な樹種を導入した森づくり、適切な間伐の実施、下草刈りなど)に対して資金援助や人的支援を行う。自社林を所有している場合は、リスク評価に基づいた適応的な森林経営計画を策定・実行する。
- サプライチェーンにおける配慮: 木材などの林産物を調達する際に、持続可能な森林管理が行われていること(森林認証など)に加え、気候変動適応策が講じられている森林からの調達を検討する。
- 研究開発支援: 気候変動が森林に与える影響評価、気候変動に強い品種開発、新たな森林管理技術の開発など、関連する研究開発への投資や連携を行う。
- 情報開示と啓発: 自社の気候変動リスク評価の一環として森林に関する情報を開示するとともに、サプライチェーン関係者や消費者に対し、気候変動と森林の現状、そして適応策の重要性について啓発活動を行う。
- 他企業や団体との連携: 単独での取り組みが難しい場合でも、複数の企業や、森林・環境分野の専門組織と連携することで、より広範かつ効果的な適応策プロジェクトを推進することが可能です。広域での森林管理への参画や、官民連携による基金への拠出などが考えられます。
結論
日本の森林は、気候変動緩和策としての炭素吸収源として極めて重要ですが、同時に気候変動の進行によってその健全性や機能が脅かされるリスクに直面しています。将来にわたって安定した森林吸収源を維持・強化するためには、気候変動による影響を適切に評価し、科学的知見に基づいた適応策を着実に実行していくことが不可欠です。
企業にとって、森林吸収源の将来的な変動は、温室効果ガス排出量削減目標やリスクマネジメントに関わる重要な課題です。気候変動適応策としての森林づくりに企業が積極的に関わることは、自社のレジリエンスを高めるだけでなく、持続可能な社会の実現に向けた貢献としても評価されるでしょう。多様な主体との連携を通じて、日本の豊かな森林を未来世代に引き継ぐための適応的な取り組みを推進していくことが、今、私たちに求められています。